27年4月10日号

 この十数年間、行政改革や予算編成などで使われている「選択と集中」という言葉は日本独自のものだ。つまり、何かを選択しそこに資源を集中投下することで、特定分野に勝負をかけるという意味であるが、そこには「廃棄」という概念が存在しないため、欧米企業においてとられる事業戦略とは異なったものとなっている。何かを「廃棄」することはリスクと責任を伴うため、日本の官僚機構が行ってきたことは、現場レベルで誰かに「廃棄」させるため、真綿で首を絞めるように予算を削っていくということである。政府は、科学技術関係予算について、第2期科学技術基本計画からは地方公共団体の関係予算(年間約5000億円程度)を加え、4期からは国立大学運営費交付金の一部をさらに加える事で、見かけ上増やしてきた。3期までは実質的な予算も増えていたため、それほど大きな影響はなかったが、4期からは実質予算が減り始め、研究現場は国立大学運営費交付金の削減とのダブルパンチでかなり厳しい状況になっている。一方、見かけ上は予算が増えているため、国民から見れば、日本の研究現場はしっかりやっていないのではないかという誤解を与え、社会保障費が財政を圧迫する中では、予算を削減すべきという論調になるのは至極当然であろう。総合科学技術・イノベーション会議は本来、司令塔として、選択と集中を進めるだけでなく、税金を投入することについて、国民の正しい理解を促進することも重要な役割であるはずだ。さらには「廃棄」についても言及しなければならない。にも関わらず、表面的な成果だけを強調しているだけでは、その機能を発揮しているとは言い難い。